■象徴となる成功とその犠牲と
計画が完全だと思えても、なかなかその通りに進まないのは風土改革プロジェクトの常である。「③情報共有サイトの構築」のタスクでは、具体的にはポータルサイトの構築ともうひとつ、FAQシステムの構築を行う予定であった。問題は後者。構築自体はすんなりと終わったのであるが、それからなかなか利用が進まない状況が続いた。
社内のノウハウを質問と回答という形で整理するために、石沢とサブメンバーは営業や工事それに本社の各業務について、よく問題になる事柄を社内でヒアリングしてかき集めた。それに回答を記載してサイトにアップした。その数は80近くになり、その後は「各自自分の知っているノウハウを、カテゴリを整理しながら記載してください」という形で従業員に利用を求めた。
システム構築後、初めの1週間は0件、次の1週間にやっと5件が記載された程度のスタートであったが、さすがに1カ月を経過した時点で石沢が焦り出した。
「1カ月を過ぎて17件か、増える見込みがなさそうだな・・・。この時期KPIとして100件の記載を目標としていたんだけどな。何がいけないんだろう。みんなもっとノウハウ持っているはずなのに」
「1カ月経ってこれじゃねー。やっぱり出し惜しみしてるんじゃない? 自分が知ってるノウハウを人に教えたくないとか、これ書いて何のメリットがあるのかって?」
誰にというわけでもなかったが、石井が困った表情のまま質問形で話した。
「それは『share』の精神と反するのでは? 個人のノウハウを共有し合うことが、結果的に個人を高めることになるんだけどな・・・」石沢が正論で反論した。
「と、ここで言ってみたところでねぇ」
繰り返し議論する二人を、このタスクについては2週間ほど見守っていた水戸であったが、いよいよ受注減少の危機が広まると二人にヒントを与えた。
「何か利用の条件を外してみてはどうですか? それと石沢さんに石井さん、100点を目指さなくていいんですよ」
ここまでプロジェクトを推進してきたメンバーだ。そのヒントから、石沢と石井はまもなくひとつの結論に達した。
「『カテゴリを整理しながら』という条件を外してみましょう」
要は何でもいいから、答えの欲しい人が質問を投稿するといった形に変えてみようということだった。それはFAQシステム本来の使い方とも言えた。
二人がその結論に達した頃、中国・四国・九州ブロックの店舗では、営業や工事担当が、噂の火消のために忙しくお客様先を説明して回っていた。お客様からのいろいろな質問に回答するには、自分の知識や経験の範囲を超えるものもあったようだ。そのとき、持ち歩いているノートパソコンを利用してFAQシステムに質問を投稿すると、嬉しいことにその反応がすぐに見られた。
回答が投稿されるようになったのだ。それらの回答は、同様の悩みを持っている多店舗の営業や工事担当も参照した。誰かが質問すれば誰かが回答をする。そして回答をしてもらった者は、誰かの質問に回答をする。そういうサイクルが徐々に回ってきた。小難しい利用の制限を外した途端に、システムは「風土改革に向けた社内情報システム」ではなく「ただの便利なツール」となったのだ。
気づけば、ただの便利なツールを使った質問と回答の数は優に200件を超え、導入後1カ月で投稿数100件というタスクのKPIをいとも簡単にクリアした。
<システム導入ってこういうことなのかな>
石井と石沢は大事な何かに気づいたようだった。
その気づきとことの流れについて、プロジェクトの他のメンバーにも共有された。その話を聞いて、加瀬が質問への回答者を分析してみると、高崎店の佐々岡、渡辺をはじめ関東ブロックのメンバーからのものが多いことがわかって、突然目頭が熱くなった。
「助けてほしいときは助けてくださいと言う」
高崎で背中をバシッと叩かれたあの夜に佐々岡が口にした内容だ。高崎店が、ただ強力な営業力でもって全国一番の店舗になっているわけではないと、この時加瀬は確信した。
ありがとうという言葉で感謝しきれないほどに、加瀬は感謝した。
<次はダルマ弁当100個買っていきますよ>
6月も下旬になると、一仕事終えた夕方の7時になってもまだ空には青さが残っている。社内をせわしなく動き回り、外出先から戻って来た後はびっしょりと汗が滲む。5月までは男性は全員が長袖のワイシャツだったのであるが、営業出身の酒井や石沢、それに山本も半袖のワイシャツに代わっていた。太陽リフォームでは夏季のエアコンの設定温度は26度に決められていたが、気づけば誰かがエアコンの設定温度を何度か下げて、山本が一人いるプロジェクトメンバーの部屋は23度になっていた。それに気づいていた山本だったが、プロジェクトメンバーの集まる部屋については、うるさく言うのはやめていた。
<季節は変わった。従業員たちの気持ちはどう変わっただろうか?>
山本は窓際に立ってまだ明るい空を眺めていた。
昨年末の納会と3月のプロジェクトのキックオフ。従業員たちほとんどに変革の意識付けは行われたはずだ。さらにプロジェクトメンバーを中心に、日々変わらないとならない雰囲気作りが行われている。しかしながら、いみじくも吉岡が口にしたように、「何が変わったのか」と思う従業員はゼロではないかもしれない。企業の理想の状態に辿り着ける劇的な変化は無いかもしれない・・・。
だが、今日この時点でも変革プロジェクトのタスクは進捗している。
事実、「⑤全店舗でのデータ項目の統一」については、酒井を中心としてほとんど整理がついていたし、「⑥データの発生時入力、重複入力が必要な帳票のカット」についても、丸山の支援を受けて、あるべき業務フローの整理が行われ、それをベースとして新しい工事総合管理システムの要件定義作業もスケジュール通りに進んでいた。さらには「⑪職種ごとの能力基準の作成、目標管理制度導入及び徹底」については、佐倉が人事課やサブメンバーとともに会社との調整を行い、最終原案までを完成させていた。
他のタスクについても確実に進んでいた。プロジェクトメンバーが必死で進めていた。
<引越しまであと2カ月、従業員全員の気持ちを維持していくためには、少しだけインパクトが足りないかな>
それから1時間後、いつものプロジェクトメンバーが会議室に集まった。その真ん中に山本がいた。各タスクの進捗、課題とその対応状況が一通り説明されたが、ここまで順調に来ていたため、メンバーたちへの労いの言葉以外に特に山本のコメントは無かった。プロジェクトメンバーは皆毎日終電、土日も休みもなく働いていており、疲労は限界をとうに超えていた。移動の飛行機や新幹線の中での睡眠が最大の休息時間とも思えるほどだった。
続いて、ここ2週間の店舗フォローについての報告がなされた。加瀬の提案でプロジェクトメンバーも客先周りに同行し、更新したホームーページの画面をノートパソコンで見て頂きながらのお客様説明が功を奏したことを伝えた。
お客様にお見せする内容には、石沢や石井たちが実際に訪問して収集したお客様の声だけでなく、FAQの形で蓄積された社内ノウハウの内容も含まれていた。特にFAQサイトは「ただの便利なツール」になって以来、ここを参考にする営業や工事担当が相当数に上り、随分と重宝されているようだった。
店舗内の同僚や同じ会社の仲間たちが危機に立たされているという状況が、情報共有を後押しした。
プロジェクトメンバーがフォローしようとしたのは営業や工事担当がノートパソコンを常に持ち歩き、商談や工事のリアルタイムの情報入力を行うことであったが、これを機にとりあえずノートパソコンを持ち歩く習慣が身に付きそうなこと、それに合わせて店舗での情報共有及び情報活用が定着しそうなことも伝えた。
さらに嬉しいことに、5月から続く受注減少について、ようやく落ち着きが見られるようになっていた。5月の時点で月別受注高が前年比72%、6月前半はにいたっては過去最低の前年比36%の見込みであったが、6月最終の週になって契約の数が増加しなんとか60%で落ち着きそうな見通しまでとなった。7月なれば6月に滞っていた契約分も合わせて、回復の兆しが見えそうだとの報告が野畑から上がっていた。
現場の営業や工事担当だけでなく、プロジェクトメンバーが素早い対応を行い、会社としても全国紙への広告掲載など迅速な対応を実施した。根拠の無い噂は小さいうちに処理するに限るのだ。
「会社としては危ないところだったが、プロジェクトとしては決して悪くない結果だ。危機をうまく味方につけたね、加瀬さん、石沢さん。それにみんなも頑張ってくれた。ありがとう。黒谷さんにも随分と助けて頂いているようで感謝しています」
山本に褒められたメンバーたちは少しだけ安堵の様子を見せた。
しかし、その中にひとりだけ緊張の面持ちのままの者がいた。
「酒井さん、どうした、体調悪いのか?」
山本が酒井の顔色が良くないことに気づいた。
「ええ、ちょっと。実は時々胃が急に痛み出すんです。先週病院行ったんですけど、ストレス性の急性胃炎だと言われました。まあ、自分としてはあまりストレスなんて感じてないのですが、症状からしてそうかもしれないって」酒井の表情が少し歪んだ。
「そうか。それでちゃんと検査したのか? していないならすぐにしたほうがいいぞ。ピロリ菌に感染している場合はそれを除去すると良くなるようだよ。私も50になったときに、それが原因で2週間ほど入院したことがあってね」
「そうですね。ただ入院なんてことになってしまったら、皆に迷惑かけてしまいます。なんとかこのプロジェクトの最後まで乗り切りますよ。大丈夫です! さっ、報告を続けましょう!」
酒井は無理に作った笑顔のまま脇腹をポンと叩いた。
本当は随分と無理をして店舗回りを行ったのだ。情報があまり行き渡っていない地方の店舗には、確実に「温度差」が存在していた。彼らは目先にある受注減少という危機については頭で考える前に体が反応した。しかし風土改革プロジェクトへの対応は、重荷として感じている者も少なくなかった。そんな店舗に限って「あそこの店長を説得できるのは自分だけだ。自分が行こう」と言い、休みなく現場で動き続けた。
出張から戻って来た時には、確実に頬が少しこけていた。
「酒井さん、プロジェクト計画書にもあった通り、体を壊すほどの無理はしないで下さいね。体の事は自分で管理するしかないので、症状が出ているようならきちんと治療してください。これは山本さんとの約束でしたよね」
「そうでしたね、水戸さん。わかりました。来週検査してみますよ」
<本当は嫁にもにも休めって言われてるんだ。ただ・・・、ここで抜けるわけにはいかないじゃないか。無理しちゃうのが自分の性分なんだよ。こればっかりはしょうがない>
次にステークホルダーコミュニケーション管理表についても報告がなされた。ここ1、2カ月ほどの彼らの言動についてが主な内容だった。そこには20人くらいの従業員がリストアップされていて、その中でもぱっと見て10名弱分が赤く塗られていた。
原沢、大海、正木、吉岡・・・・
「モンスターか」
このリストをじっと見つめて何度か小さく頷いた後、山本はプロジェクトメンバーに伝えた。
「この受注減少の事実が従業員たちの危機感を至極確実なものとした。プロジェクトメンバーだけでなく、ほとんどの従業員も何かしら意識して前向きな変化を見せているところだ。しかし・・・」
席を立って、30分前と比べてすこし赤くなった空を見ながら言った。
「必要ならモンスターを退治することも考慮する。変革に犠牲は付き物だ」
「退治する」という言葉の重さに、プロジェクトメンバーは誰もが口を噤んだままであったが、山本は続けた。
「引越しまであと2カ月を切った。プロジェクトも最終的な詰めの段階に入る。ここで躓くわけにはいかないんだ。この時期に変われないままの従業員、特に抵抗勢力が躓きの原因になるのであれば、彼らの処遇を9月以降で検討する」さらに山本は続けた。
「この資料ですが・・・」
水戸が壁に移したステークホルダーコミュニケーション管理表を指さした。
「山本さんにご活用頂くには少し整理が足りませんね」
「私もそう思う。水戸さん、少し加工をお願いできないか?」
「承知しました」
その会話の内容を十分に理解できていたのはこの場には誰もいなかった。佐倉には何が足りなくて、どう加工するのかの想像ができなかったが、山本と水戸の会話が黒谷の言っていた「非情」だというのは、なんとなく理解できた。プロジェクト管理の教科書にあるようなスキルだけ着飾ってみても、真のプロジェクトマネージャーにはなれないのだ。世の中の至るところで見せしめ的なものがあることを、呑気な大人でなければなんとなくでも理解できる。類に漏れずこのプロジェクトにも見せしめが必要な状況であるということだ。
佐倉のその気づきは、少し強くなったはずの心をまた締め付けた。
「そろそろ床井さんに一度、全従業員に通達を出してもらおう。受注回復の兆し有り、風土改革プロジェクトに賛同する従業員の頑張りとともに、プロジェクトがうまくいっていることを大々的にアピールしてもらうおう」
「通達の段取りをしておきます」加瀬が言った。
「うん、よろしく。本当にみんな良くやってくれている。ありがとう。あと2カ月やりきろう!」
その後、床井の名前で危機回避の対応に感謝する旨、風土改革プロジェクトに賛同する従業員の頑張りを後押しする内容の通達が発信された。さらに新社屋への引越しまで2カ月後を切ったこと、プロジェクトで掲げたタスクへの対応を抜かりなく進めてほしいこと、それができない従業員はこれからの太陽リフォームで活躍することが難しいことが、記載されていた。
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