期が変わる4月のちょっと前、吉岡が組織変更についてあれやこれやと鳴海に要求を出していたようだった。表向きは風土改革プロジェクトの趣旨に賛同するようなことを言い、「『3S for our Customer』に従って研究開発体制を強化すべきだ」との意見を、声を大にしていたのである。風土改革プロジェクトの掲示板にも、その旨を何度となく書き込んでいたし、コミュニティスペースでもそれを訴えていたのはプロジェクトメンバーなら全員が知っていた。
しかし、4月になって新たな期が始まっても、体制に大きな変化はなかった。店舗の店長及び工事担当の入れ替えと新人の配属があったくらいで、目新しい変化はなかった。吉岡の所属する塗料開発課には、国立大学の大学院を卒業した男性のメンバーが配属になった。研究開発体制の増員を希望していた吉岡にとっては、心強いメンバーが加わりさぞかし喜んでいるだろうと思いきや、あろうことかそれについて鳴海に抗議をしていたとの噂も聞こえた。
「やっぱり男じゃダメ。顧客が望む商品の開発には女性視点の開発が必要なんですよ」
その積極的な意見は、傍から見ればプロジェクト賛成派に思えたが、実のところは男性ばかりの研究所に花がほしかっただけのことなのだろう。鳴海は抗議を軽く聞き流していた。
その不満が4月、5月と続き、不満のはけ口は風土改革プロジェクトに向けられた。
「そろそろプロジェクトのキックオフから3カ月が経つけど、なんか変わったのかな? 社内会議の方法とかワークフローシステムの導入とか、こんなことして本当に意味があるんだろうか? さん付けとかさ、ある意味どうでもいいじゃん」
コミュニティスペースで自分よりも年の若い連中を見つけると、手当たり次第にプロジェクトに批判的な意見を口にするようになったのである。プロジェクトメンバーはタスク実行の忙しさからか、コミュニティスペースに顔を出す頻度が減っていた。水戸も店舗でノートパソコン導入のフォロー中である。佐倉が休憩がてらに時々顔を出す程度が精一杯だった。
「そりゃ、受注が減っているのは研究所メンバーの耳にも伝わってますよ。今、こんな状況になっているのに、プロジェクトのメンバーは何をしてるんだろうかね? ねぇ、佐倉『さん』」
「お客様への対応は店舗を中心に行っています。社長からの指示で店長、営業、工事担当がお客様宅を一件一件回っていますよ」
「それも知っているよ。プロジェクトメンバーはこの危機的な状況にもかかわらず、呑気に『風土改革』なんて言ってていいのかなって思ってみただけ」
嫌味の塊のような顔が佐倉にぐっと近づいた。佐倉は冷静な頭で、彼にどう対応すればいいのかを考えた。黒谷のまとめた「ステークホルダーコミュニケーション管理表」にあった、吉岡についての記載内容は全部頭に入っている。
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吉岡 研究所 塗料開発課 課長 影響:?(社内に仲間は少ない?)
・プロジェクトへの前向きな意見が見られるも、大枠の正論が多い
・具体的な対応策の提示が無い、問題の原因分析は無し
・プロジェクト決定事項についての対応には従っている、表面的にはプロジェクト賛成派
・研究開発体制の強化を希望、強化は女性で行いたい。新たな発想の取り込みが理由。プロジェクトに賛同する形で、自分の希望を正当化しようとしている
・最近はコミュニティスペースでのプロジェクト批判を口にしている
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問題意識を持つことはいいことだ。しかしその視野の狭さ、視点のズレ、視座の低さに加えて分析の浅い人間はいくらでもいる。現場では優秀とされている、特定分野の専門家にこのようなタイプが見られる。さらに当事者意識を持たずに評論家の立場を決め込む人間もいる。こちらのタイプは、頭は悪くは無いが、のらりくらりと過ごした経歴の中で自ら死線を越えてこなかったベテランに少なくない。
吉岡は前者のタイプであった。この手のタイプは、自分の正当性を認めてもらうために、相手を自分の土俵に引きずり込み、そして土俵の下に突き落とそうとする。手段は相手の批判と否定だ。さらに、彼にとって鼻持ちならないのは、自分よりも随分と歳の若い者たちが、風土改革プロジェクトメンバーに選ばれ、何やらこそこそやっていると思ったら、いつの間にか「こう決めたから従ってくれ」と言い出すのである。(実際はこそこそなんてやっていないのであるが、情報を積極的に受け取らない人間はそう感じる。)
加瀬にしても佐倉にしても10歳以上も年下の後輩たちが、社長や本部長と議論を交わしながら活躍していることに、ひねくれているのか、嫉妬なのか、妬みなのか、何かしらの感情を抱いていることは確かだった。そのどれが彼の感情を支配しているのかはわからなかったが、いずれにしても幼稚な大人の類である。
もうひとつ注意しなければならないのは、黒谷のまとめた資料にある、吉岡の「影響:?」についてである。彼のような抵抗勢力者の発言や振る舞いが社内でどれだけのマイナスの影響を及ぼすのか。もしそれが大きかった場合は、プロジェクトとしては毅然とした態度で対応しなければならない。
「私たちプロジェクトメンバーは必死にやってます。皆さんに対応頂いている内容は、すぐには成果が出ないかもしれません。目の前の問題をすぐに解決できないかもしれません。それでも5年後の会社にとっては必要なことだと思ってます」
「わかってるよ。でもね、もっと効果的な対応があるよ。佐倉さんもこんなところで油売ってないで店舗回ったらいい。工事管理課の主任なんだから、施工品質の説明くらいできるでしょ? そっちのほうがよっぼど5年後の太陽リフォームに役に立つ」
若手のころは「頭の切れる奴」として評判だった吉岡だが、現場経験のため店舗で営業を経験するも成績は振るわなかった。その後営業管理課の主任に任命された後は、現場経験も生かして(?)、あれやこれや口は出すのだが手が出ない。つまり口だけなのだ。
当時部下として吉岡の指示を受け、愚直に仕事をこなしていったのが加瀬だった。上司である吉岡の要望を意識しつつ、現場との調整やすり合わせを行い、頭も手も動かし随分と鍛えられた。加瀬が意見をすれば、ああでもないこうでもないと、一を言えば十返す勢いで口を動かしていた。
今この場でも、執拗に佐倉を説き伏せようとしている。体を近づけながら佐倉の体を舐めるように、そしていやらしい目つきで。
<言うべきことはちゃんと言わなきゃ、みんな頑張ってるんだから>
その思いとは裏腹に、足は一歩後ずさりした。そのときである。
「ちゃんと結果も出てますよ。吉岡さん」
水戸が吉岡の肩を掴んだ。
「あ、水戸さん! 戻って来てたんですか?」
「ええ、先程戻りました。ちょっと休憩しようとここに来てみたら、お二人が熱い議論をしていたもので・・・」
「ああ、水戸さん。長旅ご苦労様です。どうですか、調子は?」
幾分上から目線で吉岡が水戸に尋ねた。
「大変ですよ。皆さん総出でお客様回りです。酒井さんも加瀬さんも、それに石沢さんも石井さんもプロジェクトメンバーも一緒にお客様回りですよ、はっはっは」
「どういうことですか?」佐倉が目を大きくした。
「いやー、ノートパソコン使ってもらうために、みんな出張してフォローしてたら、こんな状況でしょ? 一緒に品質チェックして回るしかないじゃないですか」
「じゃあ、プロジェクトのタスクは後回しですか?」
「いえいえ、そんなこと無いですよ。逆に皆さんノートパソコンの威力を感じてくれましたよ。他の店舗もそうみたいです」
「どういうこと?」今度は吉岡が訪ねた。
「吉岡さん、ホームページは見て頂いてますよね? 新しい『お客様の声』のページ」
「ええ、まあ」
「これをね、お客様先でお見せしながら説明するんですよ。お客様とチェックリストを見ながら現場を再確認した後に、そのホームページをお見せして『太陽リフォームの工事は安心頂いて大丈夫です』と他のお客様の声をお伝えしたんですよ。リーフレットを使おうかと思ったのですが、加瀬さんの提案でノートパソコンの活用になるからと、店舗の皆さんに強制的に持ち歩いて頂きました。結果、共有した情報が活かされた形です。『share』まさに『3S for our Customer』ですね」
加瀬の名前を聞いて、吉岡の眉間にしわが寄った。「またあいつか」、そう思ったに違いない。
<よかった。さすが加瀬>
佐倉が「よかった」と思ったのは、ノートパソコンの活用が進みそうなことだけではなく、この受注減少の危機についても、風土改革プロジェクトが貢献できていると思ったからだ。
「そうですか、よかったですね。では引き続き頑張ってください。じゃ、私はこれで失礼しますよ」
吐き捨てるように言って、吉岡は飲みかけのお茶をそのままゴミ箱に放り投げ、コミュニティスペースを後にした。
「大変だったね。大丈夫ですか?」
「ええ、私は大丈夫です」
「最近荒れ出したね、また一人」
佐倉の顔が濁った。もともと吉岡は女性従業員にはセクハラまがいの接し方をする男だ。自分を近距離で舐めるように見ていた目つきが脳裏に浮かぶと、背中に悪寒が走った。
「そうですね。やっと最近正木さんがおとなしくなってくれたのに」
「正木さん、おとなしくなってくれましたね。今回の騒動の発端が、ホームライフ21の商品拡大路線を発端にしているみたいですからね」
「そうですね。彼の主張が真っ向から否定された形になってしまいましたね。ある意味ついてない。でも一人おとなしくなったと思ったら、また新たに一人モンスターが登場しそうな予感ですね」
「ええ、吉岡さん・・・。黒谷さんからのレポートの通り、すっかり化けの皮が剥がれたようですね。今後の動きに注意しないと」
吉岡は鳴海への突き上げや幹部会議で風土改革プロジェクトに批判的な発言を繰り返すようになっていた。
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