次々に店舗でノートパソコン持ち歩きのスタイルが展開された。酒井、加瀬の二人が各店舗をフォローし、水戸もいくつかの店舗を回り出した。スケジュール的に全ての店舗を回ることは難しく、店長から要望のあった店舗を集中的にフォローすることになっていた。フォローが行き届かない店舗については、やはり予想通り次々と問い合わせをしてくることとなったが、黒谷がそれらをうまく捌いていた。
問合せとは言え内容にはばらつきがあり、操作に関するものから、愚痴やクレームに近いものもあった。どちらかといえば後者が多かったのかもしれない。しかし黒谷はそれらを一つひとつ丁寧に電話で対応し、彼らの言いたいことを全部聞いていた。
風土改革プロジェクトではしばしば、いたる所で愚痴がこぼれる。そのレベルは様々だが、こういった愚痴をできるだけ垂れ流しさせないことがプロジェクト運営のテクニックとも言える。愚痴はそれを聞いてくれるだけで解消されることが多い、ただそれを「耳」で聞いてあげることが重要なのである。「意見をメールでお寄せください」では効果は半減する。
1回の電話が30分を超えることもあったようだが、じっくり対応することが結果的には効果的だったようだ。同じ相手からの問い合わせは2回無かった。それは、黒谷の隠れたファインプレーだと言えた。プロジェクトのメンバーが、従業員たちからの問い合わせに対して、「決まったことですから」と突っぱねてしまえば、きっと大きな反対の波がプロジェクトを襲ったかもしれないのだ。
給与や評価への不満とは違い、前向きに何かに取り組もうとしているときの意見をクレームとして扱ってはいけない。黒谷はプロジェクトの事務局としての役割と共に、そこをしっかりと理解していた。
コミュニティスペースでの会話や店舗周りの結果、営業や工事担当と顔見知りになっていた黒谷は、電話の相手がその人だとわかると親しげに接した。会話の途中に「あまり飲めませんが、好きですよ。・・・では今度いらしたときにお願いします」といった会話も聞かれた。
電話を切ると、突然口角が下がって小さくため息をついた。きっと営業や工事担当から「今度飲みに行こう」的なお誘いを受けているのだろう。日中は営業や工事担当が通常の仕事を行い、現場から戻ってきた後、ノートパソコンに関する資料に目を通すため、どうしても質問の電話は夜になることが多い。この日も時間は21時を回っていた。
その様子を見て、佐倉が黒谷を気遣った。
「大丈夫、黒谷さん?」
「大丈夫ですよ。こういうのは慣れています」
「こういうのって?」
「なんて言うんでしょうかね。新ルールの定着作業と言えばカッコよく聞こえますが、平たく言えばプロジェクトの『聞き役』ですね」
「『聞き役』? おやじたちの飲みのお誘いが? あ、ごめんなさい。もちろんそれだけじゃないんだけど・・・。ちょっと聞こえちゃったの」
疲れているはずなのに、しわの無いグレーのスーツを着た黒谷には凛とした雰囲気がある、それを佐倉は感じた。自分とひとつしか違わない、しかも年下の黒谷が大人に見えた。
「黒谷さん、聞いていい? 嫌じゃないの? 何かあるたびに『飲もう』とか誘ってくる人・・・」
「何とも思わないですね。挨拶程度の会話だと思っています」
「私には、あんなうまい対応できないな。そこが凄いなって思ったの」
「あれで仕事がうまくいくのであれば、活用しない手は無いじゃないですか。同じようなことは他の会社でもありますが、昔は面倒だなとか嫌だなって思って上司に相談しましたが一蹴されました。『俺に相談しても相手は変わらん。セクハラなんて言い出したら仕事が無くなる』ですって。正直恨みましたが、今はその通りだと思っています。上司に相談したところで、確かに相手が変わるわけじゃありませんしね」
「それは、丸山さん?」
「ええ、そうですよ。ちょっとお茶らけてるように見えるかもしれませんが、彼はドライです。冷たいっていう意味ではなくて、物事の判断に私情を一切挟まないんです。つまり非情です。判断は常に正しいか正しくないか、結果につながるかそうでないか、それが全てです。彼は弊社の中でもトップクラスのコンサルタントなのですが、上位のコンサルタントは皆同じく非情です」
そう聞いて佐倉の頭にはすぐに水戸が浮かんだ。彼も昔はフューチャーコンサルティングのコンサルタントであり、黒谷の上司である丸山の先輩にあたる人なのだ。過去のことは詳しくは知らないがきっと抜群に優秀なコンサルタントだったに違いなく、確かに常に冷静に判断する。何か重要な判断をするときに水戸は常に冷静な表情であることを佐倉は思い出した。
「そうね、わかる気がする」
「何かを成功させる人たちは皆、ある面で非情です。目の前の情に流されるようなら、プロジェクトを成功させられませんよ、きっと。今回の様な風土改革を伴うような場合は特にです。だから私たちのような風土改革を支援するチームは女だからと甘えさせてはくれません。逆に『使える武器があるなら使え』と言われます」
「それは、なんていうか、どういう意味で捉えればいいの?」
「取りようですね。私がこのプロジェクトの中で、経営コンサルタントとして経営理論や風土改革を口にしても、どうしたって不釣り合いです。今、できることを確実にやって結果を出さなければ、フューチャーコンサルティングの黒谷ひかりとしては存在価値が『ゼロ』です。だから今自分が持っている武器を使う他ありません」
「武器ね・・・」
「まあ、さっきの飲み会の話だって、正直嫌ですよ。面倒くさいじゃないですか。けど、実際に飲みの予定を日程調整とかし出したら、『その日はすみません、先約が・・・』って言って断ればいいんですよ」
そう言ってのける黒谷のいたずらな笑顔が佐倉には印象的に映ったと同時に、何か固いもので頭をガツンと叩かれた気分だった。
「まあ、嫌な相手でなければご飯くらい一緒に行くのは全然問題ありませんよ。丁度今、というより、ここしばらく彼氏もいませんし」
「え!? 黒谷さん彼氏いないの? 意外」
「意外ですか? プライベートでくだらない男の面倒見るのに疲れちゃって。今は、ひとりでいる方がよっぽど気楽でくつろげます。それになんだかんだで仕事人間なんです、私」
「黒谷さんに似合う男って、そう簡単には見つからなそうね」
「そんなこと無いですよ。意外に身近にいたりしますよ。私のサインが弱いのか、相手に気づかれないんですけどね」
黒谷が左手の人差し指を口に当てた。「内緒だよ」の意味なのだろう。それを理解して佐倉が笑い、黒谷も笑顔を見せた。
「でも今は仕事が楽しいから、それでもいいです。って自分に言い聞かせないと、心が折れちゃいますから・・・」
「コンサルタントって凄いね」
「佐倉さんだって凄いと思います。社内での振る舞い方はなんか、かっこいいの一言ですよ。私も佐倉さんの立場だったら、どこまで頑張れるかわかりません」
「ありがとう。それと黒谷さんは不思議な人だね。なんだか好きになっちゃいそう」
「えー! 佐倉さん。ホントですかー!? じゃあ、今度早く帰れる日一緒にご飯行って頂けませんか?」
「もちろん、喜んで!」
傍から見れば二人の美人OLが何やら話しているとしか映らないのだろうが、その時間は佐倉にとって忘れられないものとなった。そして佐倉の中で何かが変わった。
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