月曜日の午前中、会議室にプロジェクトメンバー全員が集まっていた。
いよいよ今日この日だと、皆それぞれの緊張感が部屋を満たしていた。1月に行った説明会のときとはまた違った空気感。さらにこれからプロジェクトメンバーとして加わるもう一人を迎えようとしていることもあって、落ち着きのない様子もプラスされた。
「10時にフューチャーコンサルティングの方が来ます」
水戸の知り合いである丸山の会社から事務局要員を招くことになった。山本へのレビュー後に、社内で適切な要員がいるかどうかを検討したが、それと思われる顔が浮かんでこなかった。
「どんな人がくるんでしょうね?」
当初、酒井は事務局要員を外部から調達することに賛成ではなかった。事務局要員がプロジェクトの成否を左右することは無いと思っていたからだ。会社の現状を考える会で一緒だったメンバーに声をかければよいと考えていた。ところが、この件で水戸と加瀬と一緒にフューチャーコンサルティングの営業と商談をしているときに考えが変わったのだ。
2週間前のことである。
「それにしても、稀に見るプロジェクトですよ」
1時間ほどだっただろうか、太陽リフォームのメンバーとフューチャーコンサルティングの営業と丸山が話をしている中で、丸山は不思議な違和感を感じた。
「何がですか?」
その質問の意味をわかりかねた酒井が訊ねた。
「いや、水戸さんを初め、プロジェクトメンバーの方々の向いている方向がみんな一致している。温度感も一緒。きっとこの体制図の残り3名の方も同じなんだと思います。事前の準備が相当しっかりしていたんではないかと想像できます。素晴らしいです」
準備のことを褒められて嫌な感じはしなかった。だが、それがなぜ「稀に見る」なのか理解できずに、再度酒井が質問をした。
「それがなぜ『稀に見る』なんでしょうか?」
「私ども、いろいろなプロジェクトの始まりに立ち会わせて頂くのですが、プロジェクトマネージャーが一生懸命に話していて、周りのメンバーが冷めているっていうケースもあるんですよね。特にこのような風土改革のプロジェクトでは、『またか』って感じでそれが顕著に表れます。それがこのプロジェクトには無いように思えるんですよ」
「他は知りませんが、我々はここに辿り着くまでに心をひとつにして来ましたからね」
「結構なことだと思います。既に成功するプロジェクトのひとつの条件をクリアしているということだと思います。ただ・・・」
「ただ?」
「変わらないといけない現場との『温度差』はどうでしょうか?」
丸山が「温度差」という言葉を使ったのを聞いて、コミュニティスペースのことを思い浮かべた。多くのメンバーと話は交わしたと思っている。話を何度も交わすことによって温度差は均されていくものだと店長時代に学んでいる。
学んではいるが、はたして「何度も」「多くの」というのはどうだっただろうか。足立店のメンバーたちとは毎日話を交わす。毎日毎日だ。だが、コミュニティスペースで交わした会話は自分が許容する時間の中でだ。自分よりも大分年下だと思われる丸山という男の言う通り、「温度差」はどうかと言うと必ずしも同じとは言い切れないかもしれない。
自分にどんなに自信があっても、一度は周りの意見を冷静に受け止めてみるというのは酒井の店長としてのポリシーでもあった。特に、違う環境にいる相手から自分とは真反対の意見があったときは、自分を客観視すべき貴重なタイミングであると学んでいた。
「同じとは言い切れないかもしれませんね」
「色々な人とたくさん話をしてもらった酒井さんがそう言うのであれば、我々としては自信をもって『温度差は無い』とは言い切れませんね」
水戸も冷静に酒井の発言を受け止めた。
「だとすると、全員が温度の高い方々、つまりやる気に満ち満ちた方々だけで、プロジェクトメンバーを構成するのは、ちょっとだけですけどリスクになるかも知れません」
「温度差がはっきりしすぎていると、ギクシャクしてしまうってことでしょうか?」
酒井の横でしばらく黙っていた加瀬が、感じたことを口に出した。
「スタートの時点で、おそらくプロジェクトメンバーはスタートダッシュします。しかし現場はそこから徐々にしか動いていきません。例えるなら、ウサギとカメです。それに今回はタスクごとのサブメンバーがキックオフ後に合流ですから、プロジェクトメンバー、サブメンバー、現場と3つの温度帯が発生することになるでしょう。社内にいる限りはこの温度帯ごとの意識は測りづらいかもしれませんね」
「なるほど。それを測って、3つの温度帯を調整しながらつなぎ合わせる役目が必要ってことですね。そしてそれは外部のメンバーが良いと?」
今後は水戸が丸山に訊ねた。
「そうですね。あ、いや、今日はこんな話をするつもりは全然なかったんですが。すみません、出過ぎたことを言ってしまいましたね」
「丸山君営業になったの? うまいですね」
「いや、水戸さん。違いますって。ははは」
水戸にはプロジェクト運営に事務局は必ず必要と思っていたが、決定する前にメンバーの意見を聞くことにした。酒井と加瀬は丸山の話に納得していた。佐倉、石沢、石川を含めて会社の現状を考える会で顔を合わせて以来、8カ月間ずっとこのメンバーでやってきたのだ。長い時間をかけてひとつになった結合体に外部因子がうまく混じれるのだろうか、そんな心配をしているとしたら、結合体を構成する個々の結合力が揺らぐことになる。水戸の心配はそこにあった。
人は同じ思いを共有する人とは近い距離感を維持できる。さらにウマが合う人であれば結合力を強めようとする。その状態が続くと、自分たちの主張は絶対的に正しいものとして認識するようになる。ところが思いを共有できないウマの合わない人が表れると、途端に結合体から排除しようとする。「俺たちは正しい、あいつはわかっていない」だ。組織全体の声を意識せずに、自分たちだけを信じて盲目になってしまったチームは、風土改革プロジェクトにおけるリスク以外の何物でもない。
5人のまとまりのあるメンバーがどう判断するか。今、外部因子を排除しようとするなら、プロジェクト計画書に無いリスクがひとつ顕在化することになる。水戸は彼らの決断を待った。
「そうですね、私たちはこういうプロジェクトの経験は無いですから、外部の人がいてくれたほうが安心ですよ」
石井が迷わず意見した。続けて店舗での例を挙げて説明した。
朝礼で大声を出して気合いを入れる雰囲気や店長の飛ばす檄の中では、それに交われない者は「駄目な奴」として排除される。しかし営業事務という立場で彼ら「駄目な奴」とレッテルを貼られた者の話を聞くと「なるほど、彼の言う通りだ」ということも多々ある。
だから、小さな気づきや前例のない考え方を排除せずに、きちんと吸い上げていく雰囲気を大事にしたいと石井は常々思っていた。そういう意見を業務監査で吸い上げる水戸の存在をありがたく思っていたことも伝えた。
「事務局ですからね。監査の立場とは違うような気がしますが、外部の視点で見た意見はもらえるかもしれないね」
自分はマイノリティを拾えていたかな、そう思いながら酒井が言った。それに佐倉も続いた。
「私も石井さんの意見に賛成です。正直なところ、このプロジェクトでの自分の振る舞いに100%の自信が無いときがあります。常に『これでいいのか、問題は無いのかな?』という心配がついて回るんです。第三者の外部の方から見てどうなのかという意見をもらえるのであれば、自分を見直す良い材料になる気がします」
「僕もそうですね。佐倉さんと一緒です。ここまでの規模のプロジェクトは何分初めての経験なので、自分のやっていることが正しいのかなって考えるときがあります。考え方のプロセスというか、フレームワークも不慣れなまま使ってきましたが、外部の人だったらどう考えるんだろうって思うことがあります。もちろん、これまでの議論で出した結果に迷いを持っているというわけではないんですが」
「その加瀬さんの意見、僕も賛成です。なのでフューチャーコンサルティングから事務局要員を受け入れることに賛成です。プロジェクトが始まったとき、僕らがみんなタスクリーダーになっていることもあって、タスク間の調整だとか、関係者への連絡事項だとか、ポータルサイトでの情報発信だとか手薄になる部分を補ってもらえると助かります。加瀬さんも全部のミーティングで議事を作ったりすることはできないでしょうからね。その辺りのプロに任せたほうがプロジェクト運営もすっきりいくと思いますよ」
あらかじめ準備されたように、石沢の発言はやけに饒舌だった。
「石沢、それ本当か? お前の場合はその事務局の人が若い女性だからじゃないのか?」
酒井が石沢を茶化すと、場は和んだ。
「じゃあ決まりですね。フューチャーコンサルティングには私から依頼しておきます」
プロジェクトキックオフの1週間前だった。加瀬がプロジェクト計画書の体制図のページを映して、空白になっていた事務局のマスに文字が埋まった。
それを見て、手をパチンとたたいて水戸が席を立ちあがって言った。
「これで全て計画書が埋まりましたね。お疲れ様です。それと、皆さん・・・」
今度は表情が緩んで、嬉しそうに言った。
「今、自信が無いと聞いて安心しました。自信があったら、あんなに遅くまで議論していないし、一生懸命行動していないですよ。自信が無いから頑張るんです。最後までみんなで頑張りましょう!」
水戸の一言に少しだけ目がしらが熱くなった。再び頑張る力が湧いてきた。笑ったり嬉しくなったり、このプロジェクトは始まる前から色々な思い出を刻んでいった。
水戸が嬉しくなったのはもうひとつ理由があった。
「プロジェクトに任せる」そう言ってくれた山本の期待に、このメンバーたちがしっかりと応えているからだ。山本はそうは言いながら、適時、取締役にしかできないフォローをきっちりと行ってくれている。上と下の信頼関係がうまく回っている、そう思えた。
信じて任せるということを、自由にやらせることだという者がいる。だが、それは怠慢以外の何物でもないと水戸は思っている。「プロジェクト」というものはそもそも一度きりなのだ。一度の失敗が企業にとって命取りになるときは、辿り着くべき場所へ辿りつくように導いてやるべきだ。そのために選択肢を与え、議論させて判断させる。なぜその答えになるのか、何度も議論させる。その結果、彼らは正しい判断をした。判断をするに必要十分な検討も行った。
<この結果に私が責任を持つ。それがプロジェクトマネージャーの覚悟だ>
約束の時間になって受付から呼び出しの内線があり、間もなくして会議室にフューチャーコンサルティングの営業と丸山、それにもう一人、一見して美人だとわかる若い女性が入ってきた。それを見て、ほぼ全員が驚いたはずだ。営業の男性と丸山には、プロジェクトメンバーは何度か顔を合わせていたため、残る女性が事務局のメンバーとなる人ということになる。
「初めまして。フューチャーコンサルティングの黒谷ひかりと申します。宜しくお願いいたします」
一通り名刺交換が終わって席につき、挨拶を交わした。
佐倉は、姿勢の良さ、清潔感のある服装、言葉づかいの綺麗さ、ビジネスマナーのお手本がいるとしたら、こんな人なんだろうと感心した。年は27だと言う。佐倉のひとつ下だ。大学卒業で入社したとして5年間でここまでの洗練された所作が身に付くのだろうか。
<さすが、コンサル会社の人は違うな>
「『くろたに』なんですね。『くろや』さんかと思いました」
間もなく始まるキックオフの緊張感をよそに加瀬が話し出した。
「ええ、そうなんです。よく間違われるのですが『くろたに』です」
そう返答すると、綺麗な顔が瞬時に憎めない笑顔に変わった。先程までの精錬された所作とその笑顔とのギャップにドキッとした。
「加瀬君、鼻の下が伸びてるんだけど」
「石井さん、ナイスつっこみ」佐倉が鋭い目で加瀬を睨んだ。
石井と佐倉、同時につっこまれる加瀬を見て丸山も笑った。
「ハハハ、加瀬さん。騙されちゃ駄目ですよ、黒谷は厳しいですよ。めちゃくちゃ厳しいですよ。はっきりいって鬼です」
「そんなことないですよね、黒谷さん」水戸が旧知の仲のように黒谷に笑いかけた。
「あれ、水戸さん。黒谷さんのことご存じなんですか?」
変なところで加瀬の感が働いたようだ。
「いえいえ、そんなことないですよ」水戸は軽く手を振った。
「ちょっと、丸山さん。今日初対面の皆さんの前で変なこと言わないでくださいよ」
そう言う黒谷にちょっどだけ動揺した様子が見えたように加瀬には見えた。
「黒谷さんが鬼でも問題ありませんよ。僕は慣れてますから。うちにも鬼とまでは言いませんが、厳しい先輩がいますから」
「加瀬、ひょっとしてそれは私のこと言ってるの? そうだとしたら怒るわよ」
加瀬と佐倉のやり取りを見て丸山も黒谷も声を出して笑っていた。
「なんだかまとまりのよさそうなチームですね」
黒谷がそう言うと、丸山が咳払いをひとつして黒谷の紹介を始めた。
「では、改めて紹介しますね。黒谷は、当社のビジネスコンサルタントで若手のホープのひとりです。最近まで老舗の和菓子製造販売企業の企業再生の業務に当たっていました。そこでは会社の抱える様々な問題の解決はもちろん、その問題の根本原因になっている人の意識について、変革を促す役割を担ってきました。その経験を御社のプロジェクトでも活かしてくれると思います」
黒谷の紹介の後、太陽リフォーム側メンバーの簡単な自己紹介が続き、プロジェクトの簡単な説明がなされた後、全員が場所を変えた。
水戸は思った。
<これでやっと役者がそろった>
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