■男の仕込みと女の非情
「さをり」を訪れた翌日のミーティングで、WBSの確認や業者からの提案と見積もりの内容をメンバー全員で確認していた。
実行施策のうち、社内の情報システムに関係する部分である「⑤全店舗でのデータ項目の統一」と「⑥データの発生時入力、重複入力が必要な帳票のカット」については、納得のいく情報が揃っていなかったが、他の項目に関しては十分な内容であった。
「うん、これだけ揃えばプロジェクト計画書がほぼ完成しそうですね。短期間によくここまで揃いましたね」
加瀬が自分の頑張りを褒めるかのように腰に腕を当てて言った。
「いや、加瀬君。自分たちの担当部分はまだ不十分だ」酒井は落ち着いていた。
「そこは確かに難しいと思いますよ」
水戸が情報システムベンダーの提出してきた資料の一部を手にとり、スケジュールに関するページをじっと見ていた。
「我々の検討が不十分なのかどうかわかりませんが、このチームにシステムの専門家がいないのは少し痛かったですね」
「それはその通りですが、情報システム課の平野課長を中心にいろいろ意見も聞きましたし、基本的な部分の勉強も頑張ってしたんですがね・・・」加瀬はちょっと不服そうな表情をした。
<毎日夜遅くまで残って頑張っているんだけどな・・・>
「酒井さん、この部分をこのまま進めようとしたとき、どんなリスクがありそうですか?」
「んー・・・、そうですね。実行施策はあくまで『業務フローの改善』なのですが、自社のあるべき姿を考える中、インターネットで調べていくうちに工事統合パッケージシステムの話に辿り着くんですよ。そこで情報システムベンダーに話を聞くことになったのですが、どうもシステム導入の話に偏りすぎてしまっている気はするんですよね」
「そうですよね。あれ、いつの間にこんな話になってるのかなって気がしました」石沢もシステムベンダーのパンフレットを手に取った。
「営業から小難しい話を聞ききながら、最後は聞こえのいい効果やメリットを聞かされると、それをやらなくちゃいけないような気になってしまってる自分がいるんだよ。加瀬さんは自分よりもそれが強いかもね」
「そっ、そうですかね。でも全従業員が一丸となって、工事統合パッケージシステム導入をやり切れば、その効果を早いうちに実感することができると思うんですが。それに実行施策の⑥番は例のDゾーンにマッピングされたものなので、風土改革の象徴としてなんとか形にしたいですよ」
水戸は冷静な表情にゆっくりした低い声で問いかけた。
「会社内の関係者全員が工事統合パッケージシステム導入に反対して、誰も協力してくれないとなったとき、自分でやり切れるスキルと経験があれば、その意見もちょっとは真実味を帯びるんだろうけど、どうだろう?」
「自分は楽観視してみても成功と失敗フィフティ・フィフティだと思ってる」
加瀬が答える前に、酒井が自分の感覚を話した
「数字で言えばそうかもしれませんが、それ以上に水戸さんの言う『会社の全員が反対』っていうところが心配ですよ」
「私も心配ですよ。プロジェクトのキックオフ後、みんなそっぽを向いていたらどうでしょうね」
「それは大丈夫ですよ、あれだけインパクトある納会で皆の心は動かされたと思うし、山本本部長の説明会でも、一丸となってやるぞって言ってましたし・・・」
加瀬はやる気のあまり熱くなるところがあった。加瀬は確かにプロジェクトメンバーの中でもひと際頑張っていた。情報収集量に加え、行動力がずば抜けている。その行動も計画的で無駄のないものだった。こういう積み重ねが日々できるからこそ、床井や山本が若い加瀬を係長にまで押し上げたのだ。
しかしである。頑張れば頑張るほど、考えれば考えるほど、その人は自分の意見に固執する。特に若くて優秀な人物である場合はなおさらだ。風土改革プロジェクトのような答えの無い中を進んでいかなければならないときはさらにその傾向が強く出る。プロジェクトのメンバーであれば日々そのことについて考えているが、そうでない他の従業員はこれまでと変わらず自分の仕事をこなしているのだ。昨年の納会から既に1カ月半が経とうとしている。その温度差は徐々に開いていると考えるほうが普通だった。
「加瀬。私たちは毎日『風土改革』って考えてるけど、他の人たちはそうじゃないわ。特に業務フローにかかわる所は慎重にプランしないといけないと思う」
「佐倉さんなら、具体的にはどうプランします?」
「現場が消化できる負担を反映させるわね。仕事をしながら徐々に新しいことを取り入れるのは結構な負担だと思うの。しかも引越し前の書類整理や何やらで、相当ごちゃごちゃする様子が想像できるでしょ。冷静に想像してみればわかるわ」
<いい意見だ、佐倉さん>
水戸は佐倉の意見に頷いた。
「なるほど、なるほど・・・」何かを理解するように、加瀬は何度も小さく頷いた。
「みんながあんたみたいに、やる気があって優秀な人ばっかりじゃないんだからね」
「加瀬さん、『⑤全店舗でのデータ項目の統一』と『⑥データの発生時入力、重複入力が必要な帳票のカット』は、スコープを絞ってみたらどうでしょう。それぞれWBSは書いてくれていますね。ここはさすが、酒井さんと加瀬さんです。私もこれでいいと思います。この範囲で引越し前までに終わらせる内容はどこまででしょう?」
水戸にそう言われて、加瀬は冷静にかつ合理的に考えることに努めた。
「情報システムベンダーが持ってきたスケジュールをそのまま適用すれば、導入完了まではちょっと厳しいですね。1カ月オーバーになってしまいます。なので、現状分析とそれに情報システムベンダーの言うデータベースの論理設計までですかね。それに・・・」加瀬がさらに続けた。
「データ入力という点では④番の実行施策も同じですから、将来的な新システム導入の『下準備』までを範囲とすればよいでしょうか。ここまで実行するだけでも、業務のスピードが速くなるのが期待できます。プロジェクトのスローガンである『3S for our Customer』に従って考えれば、『speed』重視ってことになりますね」
その発言は加瀬が冷静さを取り戻したことを意味していた。
「うん、自分もそこまでで精一杯だと思う。データ項目の統一も難関だよ。加瀬君、店舗の頑固オヤジたちを舐めちゃいけない」
「そうよそうよ。あのオヤジたちにはどれだけ手を焼くことか」
酒井に続いて石井も声を上げた。石沢もうんうんと首を縦に振っていた。
<店舗組のプロジェクトメンバーがそこまで言うんだ、一朝一夕にはいかないってことだな>
加瀬は自分の知らないことはなるべく理解しようと努めた。
「よし、じゃあこの辺で、これまでまとめた情報を会社内に周知しましょうか。キックオフ前だから、これをやることに決まりました、という形でないほうがいいですがね」
「ビジョンとスローガン、それに課題を整理した図を見せるっていうのはどうでしょう?」加瀬が素早く反応した。
「その狙いはどこにあります?」
「ここまで分析したよっていう進捗状況の共有と・・・、そうだな、改めて参画意識を高めてもらうために意見を募ってもいいかな」
水戸は加瀬の頭が冷静さを取り戻していることを確信した。
「それって、またその意見を参考にゼロから検討するってことかな?」石沢が疑問を口にした。
それに水戸が答えた。
「石沢さん、それは違いますね。決めるのは、あくまで床井社長や山本本部長に選ばれたプロジェクトメンバーであるここにいる皆さんです。でもそれを実行するのは我々だけではなく、従業員全員です。だから『合意』を得るんですよ」
「と言うことは、実行施策を発表したほうがいいのではないでしょうか?」石沢の疑問は解消されないままだ。
「今この時点での『合意』を得るのに必ずしも結果を見せる必要はありません。もともと答えの無いものを作ろうとしているわけですから。だから・・・」一呼吸おいて、水戸が続けた。
「だから意見を募るんです。加瀬さんが先程言った通りですね。従業員一人ひとりから意見を聞いて、それを参考にしてこのメンバーが決めればいい」
<丸山君ごめん。丸山君のして頂いた話ををそのまま使ってしまいました>
「でも、結局この実行施策になるとは思いますが、それでもですか?」
石沢の質問に水戸は冷静に答え続けた。
「そうです、それでもです。『意見を募った』という事実が大事なんです。そういえば、東京タワーも大江戸線も名前を決めるのに広く一般から公募ましたが、結局選ばれたのは投票結果1番のものじゃないんですよ。雑誌のan・anもそうだったかな」
「へえ、そうなんですか、誰が決めたんですか?」石沢がそこに興味を示した。
「東京タワーは徳川夢声、大江戸線は石原慎太郎、募った案の中からこれがいいって選んで決めたそうです。an・anは事前に黒柳哲子が決めていたそうです」
「知らなかったです。徳川なんとかって人はよくわからないですけど、残りの二人は大物ですね」
「そうです、結局は鶴の一声ってことです」
「最後は鶴の一声だとしても、意見を募ったってことで反対も抑えられるし、プロジェクトが始まってそっぽを向くってことも少なくなると思いますよ。石沢さん」今度は加瀬が答えた。
「まあもちろん、採用してもよい意見があれば取り入れてもいいかもしれませんね」
「そういえば、僕は資料や企画書を作る際に完璧に仕上げません。完璧だと逆にいろいろチェックされて難癖つけてきますからね。あえて不足をそのままにして片山課長や原沢部長から指摘をしてもらうようにしておくんです。そうすると二人ともスムーズに企画書を通してくれますよ。それと一緒かな」
<その通りです>
そう言おうとしたが、水戸はやめておいた。出世する人は大抵これくらいの姑息さ、腹黒さを備えている。そんなことは教えられて学ぶようなことではないと思った。
「では、これも先程加瀬君が言ってくれたけど、ビジョン、スローガン、課題を整理した図を皆さんに見せればいいですね。これなら実行施策について意見を出しやすい。自分らがそうだったように。この図をなんかシンプルに表現できないかな、なんか長ったらしいんだよね」
「『変革マップ』なんてどうでしょう? 宝の地図じゃないですけど、ビジョンに向かっての変革への地図って感じで」石井が言った。
「さすが、石井さん。センスいいですね。それにしましょうか。皆さんどうですか?」
「賛成!」
こうして、それをどう実現するかを議論した結果、本社2階の喫煙ルームの横にコミュニティスペースを設け、さらに社内LAN上にポータルサイトを構築することとなった。
太陽リフォームでは数年前まで執務室で喫煙が行われていた。世間で分煙を訴え出した風潮と同調して社内でもそんな声が大きくなり、それを尊重して喫煙ルームをビルの3階に設けた。すると今度は、喫煙者だけ一日に何度も休憩にいくのは不公平ではないかという非喫煙者からの声が聞こえるようになった。そのような背景もあって、引越しまで1年も無いのであるが、コミュニティスペースの設置が認められた。
コミュニティスペースには変革マップを貼り出して、従業員同士が風土改革についての真面目な話を気軽にする場を提供することとなった。コミュニティスペースには、取り急ぎ意見箱を設置してキックオフまでの間にいろいろな意見を募ることとなった。店舗の従業員たちにもその雰囲気や状況が伝わるよう、店舗からでもLAN上のポータルサイトを通してその情報が見られるようになった。
風土改革に巻き込まれる側への細かな配慮のセンスが、プロジェクトをスムーズに進められるかどうかを大きく左右する。この部分については(水戸に随分とはっぱをかけられたようだが)加瀬と石沢がなんとか短期間で対応を完了させた。さすがに関連部署である総務課と情報システム課では「急すぎる」と、文句のひとつも出たようだが、最後は彼らの勢いに負けたようだ。
その後、文句の内容を伝えようとした若い二人であったが、水戸は「それも仕事のうち」とさらりと言ってのけた。若い二人はちょっと不服そうな顔をした。今は心底理解できていないかもしれない。ただ、「成長」とはそういうことである。自分の中に留めておける他人への不満の量がそのひとの成長の量なのだ。
トップの推進力、やる気のあるメンバーで体制構築、ビジョンの策定。それに向かって組織が一丸となって対応。そんな綺麗事だけで風土改革プロジェクトは成功しない。そんなことをいうリーダーがいたとしたら、みすみす金と時間を無駄にするようなものだ。必死の努力と長い忍耐、誰かがそれをしっかりと受け止めなければならない。
失敗が許されないときは、信頼に足る他人の経験を参考にすべきだ。丸山のようなコンサルタントや沙織のような経営者であればこそのアドバイスに水戸は感謝した。
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