7階の営業管理課では個人別受注表の集計が行われていた。7階は営業管理課と広報課があって15席の机が配置されており、その全体を見渡せるような配置で窓を背にして本部長席も置かれていた。山本がそこに座って資料に目を通している。
「加瀬君、片山課長は?」
「席を外しています。5分もすれば戻ると思いますが」
「あ、いいんだ。営業成績の集計はどう?」
「今月の3週目分までは終わりました。キャンセル分も反映させています。今のところトップは高崎店の渡辺さんです。受注合計8千2百万円。今年も凄いです」
「このままのペースだと渡辺さん3連覇いきそうだね。納会の表彰で例のガッツポーズまたやってくれるのかな」
「はは、あれすごいですよね。壇上であのパフォーマンスするのは度胸いりますよ」
「総務・人事部の準備も進んでいるようなので、諸々の順位表は準備よろしくね」
「承知しました。片山課長とも確認しながら進めていますので問題ありません」
「あっそれと、例のレポート、見させてもらったよ」
加瀬は少し緊張した。本部のトップから声をかけられるだけでも多少身構えるものだ。それに今しようとしている話題は、会社の現状を考える会の成果物についてだ。あの2カ月は同じ心持ちの仲間がいた勢いで、ありのままの思いを口にしてしまった。冷静に考えればやり過ぎの部分も多少あったと思える部分もある。
「はい、2カ月間会社のいろいろな立場のメンバーとともに、問題点を議論させてもらいました。いまの仕事の改善にも役立ちそうなヒントも得ましたし、いい勉強だったと思います」
「そうか、それはよかった。確かにみんな会社をよく見てると思う」
咎められる雰囲気もなく、加瀬は内心ほっとした。
「ただ勉強で終わってしまっては勿体ない。そうだな・・・、あれ納会で発表してみないか?」
「え!?」ほっとしたのも束の間、この人は何を言うんだと耳を疑った。
確かに1回目の検討会の冒頭、小泉の説明の中に「成果物を共有し今後の会社の方向性を考えるために生かしたい」とあったのをはっきりと記憶している。ただそれが納会での発表だとは何も聞いていなかった。
太陽リフォームの納会は、例年都内のホテルの会場を借り切って立食形式のパーティーを催す。その広さは優に千を超える人数を収容できる広さだ。社長である床井のあいさつに始まり、営業や工事担当の成績優秀者及び優秀店舗の表彰を行う。そのあと、次年度の経営方針、各幹部社員の意気込みなどが話される。後半にはポップスやロックなど、ちょっとした有名人のステージもあり、会場は一気に盛り上がる。料理も豪勢だ。
加瀬はその会場の壇上でプレゼンしている自分の姿を想像して怯んだ。
「あ、加瀬君。へんな想像してない? あの会場の壇上に一人立って話してもらおうなんて気はさらさらないよ。そのへんは大丈夫だよ」
山本は目が点になった加瀬の肩をポンとたたいた。
「君たち有志のメンバー以外の人たちにも危機感を持ってほしいんだ。納会はきっと例年通り表彰などで盛り上がるはずだ。その勢いを維持しつつね、来年以降、会社は新たな方向に舵取りをしないとならない。それは君たち会社の現状を考える会のメンバーならわかっているはずだね。そこで今年の納会で、その新たな方向性を、来年度の方針として発表しようと思っている。そのために君たちの意見を、君たちの口から説明してほしいんだ」
「私の他に12人もいらっしゃいましたし、私の一存ではなんとも。せめて水戸室長や小泉部長、足立の酒井店長のご意見も伺わないと・・・」
「大丈夫、彼らには既にOKしてもらっている」
「ははは、断りようがないですね」
「そういうこと。片山課長と原沢部長には私から言っておくよ」
山本はもう一度加瀬の肩をポンとたたいて出口のほうへ歩き出した。途中、プリンターに打ち出された個人別受注集計の結果を手にして7階のドアを開けようとしたとき、振り返って言った。
「あ、そうそう。この件、水戸室長とちょっと話をしておいてくれるかな? よろしく」
午前中に山本から言われた内容を確認しようと、加瀬はすぐに監査室を訪れた。監査室は役員室のある8階にあるが、部屋は分かれている。
「水戸さん、ちょっといいですか?」
「あ、加瀬係長。そろそろ来る頃だと思ってましたよ。ちょうどいい時間なので昼飯一緒にどうですか?」
二人は本社近くの定食屋に入った。加瀬はお品書きに目を通すことなく、焼き魚を注文した。
「ここの焼き魚うまいですよ」
「じゃあ、私もそれにしよう。同じのもうひとつお願いします」
「山本本部長から直々に言われました」お絞りで手を拭きながら加瀬が話し出した。
「壇上で話すんですか、加瀬係長?」水戸が意地の悪そうな笑顔で質問した。
「え、やっぱりそんなことになってるんですか?」
「いやいや、冗談。話すのは社長だよ」
「あー、安心した」
山本は既に水戸に相談していた。今のところ納会の段取りはこうだ。
納会で新しい方針を発表する。それはいつもの通りだが、内容は会社の現状を考える会で明らかにされた内容を反映させる。その前に「いつもの通り」と思わせないようにちょっとしたイベントを催す。その司会を、加瀬のような若い本社メンバーにやらせようというのだ。イベントの内容は水戸が考えることになった。
そこまでを話すと、すかさず加瀬から質問が出た。
「ところで、イベントって何ですか?」
「加瀬係長、ここ2、3分の間に何が聞こえましたか?」
「え?」
「私との会話の他に、耳にどんな雑音が聞こえましたか?」
「えーっと、むこうの席の人の『おばちゃん、今日の魚何? 鯛の粕漬けよ』って聞こえた気がします。それ以外は全然わかりません」
「このお店に今20人くらいいますよね。これだけ賑やかなのでみんな色々な話をしているはずです。でも自分に興味の無い話は耳に入ってこないんです」
「そう言われてみればそうですね。多分、自分の頼んだメニューと一緒だったからその言葉が耳に入ったんでしょうね。さっき、今日の魚が何だか聞く前に頼んじゃったし」
「けれど、別の場所でその話を聞いても、全然興味の湧かないこともあると思います」
「それはそうでしょうね。ん? その話イベントと何の関係があるんでしょう?」
「シチュエーションとタイミングが良くなければ、どんなことを話しても雑音にしかならないってことです」
「納会の中でのシチュエーションとタイミングって何でしょう?」
「加瀬係長」急に真面目な顔をした水戸が加瀬の目をじっと見た。
「はい」加瀬が唾を呑んで答えた。
「加瀬係長を含むあの有志メンバーは、会社の現状に対しての『危機感』を持っています。ですが、納会で盛り上がっている従業員が同じ危機感を感じているとは限りませんよね。だから、危機感を感じてもらうんです」
料理が運ばれてきたが、話は続いた。
「危機感ですか・・・、それがシチュエーションとタイミングですか?」
「そうです。危機感が無ければ、それを打開しようとは思わないものです。そのシチュエーションを作り出します。それも一瞬のタイミングで」
「どういうタイミングですか?」
「それはね・・・、まだ内緒です」
帰りの道、本社ビルが見える銀杏並木の通りを歩きながら、加瀬は考えていた。
何かが変わるとすればそれはいつだ? 季節が変われば葉の色が変わる。気温が変われば人の服装も変わる。役職が変われば責任が変わる。立場が変われば発言も変わる。腹が減ったら飯を食う。頭が混乱する直前で水戸に助けを求めた。
「ん~違うな。水戸さん、ヒントください」
「ひょっとしてタイミングのことですか?」
「そうです。そうです」
「ジェットコースター、かな」
「ジェットコースター・・・、んー、なんとなく水戸さんの言わんとすることがわかる気がしますね。タイミングは納会の盛り上がりの頂点を過ぎた後ですね」
「おおっ、正解ですよ。頂点は納会の表彰式。その後でなら新しい加速を生み出せる」
納会を終えた新年、何が起きるだろう。小泉の通達で、アスベストが含まれていると知ったこのビルの空気は、健康には良くないのかもしれない。不動産会社からの報告では調査に問題がなかったと連絡があったようだが、新しいビルに移れば綺麗な空気の中で仕事ができるのだろう。それはきっと健康にも良いのかもしれない。
<空気が変われば、か・・・>
そう思いながら入口の真正面で本社ビルを見上げた。横にいる水戸も本社ビルを見上げていたが、自分よりももっと遠くを見据えているような気がした。
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